■今日考えたこと。

ココルームに遊びに行く。
今日はリーディというイベントの日で、皆一人ずつ、なんでも好きなことを話していく。
自作の詩を朗読を主体に活動している詩人さん。
北海道から一人旅に来たお嬢さん。
ことばをテーマに活動する美術家さん。
自分の考えてることを話したり、自分の好きなバンドについて話したりしてた。
中でも凄かったのが自転車修理工のおっちゃんで、チャップリンへの手紙を朗読しなさったのだけれど、その語り口や身振りに本当にたましいがこもっていて、たいへん美しかった。夜じゅう、ああでもこうでもないと、書いては破りしながらつくったという手紙の文章も、すっと心に入るような綺麗なものだった。
思わずわが身を振り返ってしまった。私はここまで心をこめて表現をしたことが久しく無いな、と。それから、私ももっと心こめて、絵描こうと想ったし、また小説も書こうと想った。
おっちゃんとおっちゃんの言葉に出会えて今日はほんとに楽しかった。またお会いしましょう。

■おっちゃんの姿に背中を押してもらったような感じで、遥はひいばあちゃんについて話した。母がまだ少女だった頃に亡くなったひいばあちゃんだけど、母やばあちゃんからいろんな話を聞いて育った。日本舞踊の師範だったこと、いつも着物を着て背筋をぴんと伸ばして綺麗な姿勢で居たこと。コーヒーを飲んで煙草を吸ってたこと。与謝野晶子に傾倒してたこと。
遥の中でいつも華やかなイメージとともにあるひいばあちゃんの血は、こんなに薄暗いひ孫にもちゃんと流れている。
何の原稿も用意して行かなかったので、次に何を喋るか、どういう言葉が出てくるのか自分でもわからない! でも話したい! 聞いてもらいたい! という不思議な高揚感とたいへんな緊張の時間だった。

■表現をするにはまず表現をしたい自分を肯定しなきゃいけない、受け入れなきゃいけない。例えば所詮オナニーだとか自己満足だしなあとか、例えばこんな話をこんなこと描いてもどうせ誰も楽しくはないんだよねとか、自嘲してるうちは良い表現はでてこない。かといって自分の表現したいことに酔い痴れてしまってもいけない。自嘲は、あるいは、自分に酔い痴れる心の裏返しか。
必要なのは、自分のしたいことを真っ直ぐ見つめることだろう。真に謙虚であることなんだろう。

■私は20年近く大阪に住んでいるけれど、大阪のことはなんにも知らない。私がかつて住んでいた辺りと、今私の住んでいる辺りと、ココルームのある西成と、では景色も空気もずいぶん違う。
ロシアとかチェコとか東京行きたいとか、外に出ることばかり考えていたけれど、まずいちばん身近な大阪にもっと関わっていかないといけないだろうな。