壁の向こうに何がある

■知り合いの絵描きさんが「分類なんてナンセンスで、それは壊していくべき壁だと思う」と云っていた。
それがきっかけになってずるずるといろんなことを考えた。

ちゃんと体系的に事情を勉強しているわけではないです。
学校の授業で断片的に聞いたことについて感じたことの、その塊のようなものです。

■学者の話。
古い壁がどんどんと消えていく中で芸術とは何ぞやというアポリアに直面している美学者を知っています。
表現者が境界線を忌み嫌って消して行くなかでは、今までの、分類と分析とは全く違う捉え方が必要なはず。でもそれはまだ不明。

■見る人の話。
日曜美術館フェルメールの話をやっていて。フェルメールはまあ誰がどう見ても偉大、すごい、いわゆるネ申。技量とか色彩感覚とかが彼の絵にもたらす普遍性。
で、これまではそういう普遍性のあるものがたからもの、あとはゴミ、だった。それが現代、そういう普遍性のない周辺的なものにも「アート」っつー市民権が与えられ始めていたり視線が注がれていたりして、反面、ほんとうに良いものってなんだろうって問うときに、非常に答えが出にくくなっているわけで、とっても不安定で。

■こわれゆく古い枠組みに対する新しい回答がみつからない。だからなんだか、自由なように見えてとっても不安な気がする。

■知人の話。
商業アニメだって美少女フィギュアだってオタク文化だってアートとして取引される。いいよいいよそりゃぜんぜんアリだよ。でも振り払えない違和感。これって旧式の分類脳の所為?

そこでじゃあ取引されて良いアートって何さ、そもそも芸術って何さって問いが生まれて、美学者でもなんでもないのに崩れ行く壁を前にあーどーしよーって立ち尽くす。

心配なのはつまり → 実は大したことのないものに異常に高い評価がついてたりしない?

■壁の向こう側はまだ砂漠。